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前に「深夜食堂」のことを書いたけれど、
そのテーマソングを唄っている 鈴木常吉氏が自身のブログで ニックドレイクの声に「荒野」を感じる、と書いていて。 ああ、その表現そのものが、詩だな、と感じて。 僕は正面きった言い方とか、 いわゆる正論というものが嫌いで、 どんなに理不尽な失恋を味わおうと、 正論だけは吐くまいと思っているのだが。 で、ときどき詩について考える。 詩なんて、ほとんどの人にとって無意味で、 おそらく無用の長物のような存在だと思う。 だからそういうことを書くこと自体、 ちょっと腰が引けるのであるが、 もしも、詩って何、って、聞かれたら、 ハンカチ落としのハンカチのようなもの、 僕はそう答えるだろうと思う。 ハンカチ落としって 子供の頃にたいてい経験している遊びだと思う。 いつハンカチが 自分に後ろに落とされるか分からない。 後ろに回した両手を意識しながら、 そこに何か違う空気というか、 誰かから落とされるかもしれない、 そういうものを予期しながら、 宙を手で探るんであるけれど、 何と言うか、うまく言えないんだけれど、 詩というのは、 そんなふうに、決して正面きって届くものではなく、 後ろ手で受け止められるものではないか、 なぜか、たまたま、 すごく落ち込んでいたり、 悲しい気持ちに陥っていたり、 傷ついた気分になっていたり そういう時に、心の手が後ろに回り、 そこにふれるもの、それが詩なんではないかと思う。 (悪いけれど。あいだ某を詩だなんて言わないでね) いつも未来だけを見つめている人、 うつむくことなく、青空だけを見上げている人、 闇は見ず、明るい光だけを見ていたい人。 そういう人にとって、 詩なんて無用の存在だろうと思う。 ふだんあんまり意識しないけれど。 手はいつも、からだの前にある。 ご飯をたべるときも、手紙を書くときも、 セックスするときも。 めったに手が後ろに向かうことはない。 でも詩というのは、 真っ正面からでも、はすかいでもなく、 後ろ手に伝わるものだと僕は思っている。 詩に興味のない人にはどうでもいい話だろうけど。
日曜日は天気も良く、
こりゃちゃりじゃーにぃ日和だと、 どこへ行こうかと一瞬考えた末、 噂の店へ行ってきた。 ガロート珈琲。 勝手にリンクさせてもらっている 「凡近日記」の主宰者で、 天才画家にして一級料理人の 小川氏がちょくちょく足を向け、 松村もこのあいだ話題に上らせていた店である。 松村いわく 大阪の音楽好きがみんな集まる店とのこと。 みんなが集まる店は好きじゃないのだが、 かなり渋い音楽を掛けているらしく、 そりゃ行ってみなくちゃと思っていたんである。 自宅から1時間ほどかけて やっと昭和町の店に辿り着く。 思ったより綺麗な内装で、 すごく落ち着く感じである。 店主の小西氏は僕とほぼ同世代で、 とにかく古い音楽に詳しい。 聞けば 僕と松村との共通の知りあいで 同じく古い音楽に滅法詳しい 土山君も月に一度ほど来店するという。 で、店主の小西氏自身もずっと ブルーズギターを弾いてきたという。 カウンターの中から ヤマハの古いダイナミックギターを出して 弾いてみせてくれた。 僕もちょっと弾かせてもらったのだが、 枯れ気味の乾いた音が素晴らしく、 ブルーズを弾くには最高だと思った。 こういうギターを持っている人なら おそらく音楽の趣味もいいんではと確信する。 その通り、すごくいい音楽をいっぱい聴かせてもらった。 掛けるのはほとんどSP盤で 1曲ずつ選んで掛ける間合いが 何というかラジオで聴く音楽のようで、 音が流れっぱなしのCDとは違って、 すごくいい塩梅なんである。 日本で最初のボサノヴァシンガーだという 泉田エミイという人のレコードやら (バックはナベサダ) レオ・ワトソンとテディ・バンのSP盤やら、 カルロス・ジョビンの最初のレコードやら、 ジョアン・ジルベルトの演奏したサントラ盤やら、 オスカー・アレマンの若い頃のレコードやら、 まあ聴いたことのない渋い曲ばかり 次々といちいち針を落として掛けてくれて。 極め付けは あのパルナスCMソングのソノシート。 何でもそれは非売品で、 パルナスのケーキを買った人にだけ ノベルティとして渡されていたんだという。 松村が来たとき それをすごく羨ましがっていたらしい。 そりゃそうだろう。 あの曲は松村が若いの時の十八番だったから。 そのソノシートは2曲入りで、 最初の曲は何と藤山一郎が歌う誕生日の歌で、 2番目にあのおなじみの曲が入ってる。 でもフルバージョンで聴いたのは初めてで、 なんと歌詞の3番はロシア語で歌われている。 (歌うのはボニージャックス) 音楽を掛ける合間には 初対面にもかかわらず、 店主の小西氏や奥さんと話がはずみ、 そんなで珈琲を3杯おかわりし、 4時間近くもいてしまった。 喫茶店でそんな長時間過ごしたのは おそらく30数年ぶりだろう。 いやいや本当に楽しい時間だった。 こんどは 京都の音楽の博識先生、 キタトモ君もぜひ連れてこなくっちゃ。
先週くらいから
ようやく風邪も治り からだの力も気力も出てきた。 このあいだ松村が 久しぶりに仕事場にやってきて いろいろ喋っていたら 彼も昨年の秋くらい、ちょっと不調だったらしく。 ふたりで やっぱりからだが元気やないとあかんな、としみじみ。 まあそんなことを ため息まじりにしみじみ話すこと自体、 お互いにもう若くはないという証しで。 そんなふうに 嘆いているばかりでは情けないと 心機一転、スポーツジムへ。 なんと3年ぶりである。 マシンとかあまり好きじゃないので ずっとさぼりっぱなしだったのだが、 いざからだを動かしてみると やはり気持ちがいいもので そうハードなことはしなくとも、 軽く汗をかくだけで、気持ちまで爽快になる。 何というか もともとひねくれ者だからか、 何かを前向きに考えたり、 建設的な行為というものが嫌いで、 ついつい後ろ向きや下向きに歩き、 行動的な人間を冷ややかに見る習性があるのだが、 昨年来から不調が続き、 新年早々風邪がなかなか治らず、 そういう状態に陥ると そんなことを言っている場合ではなく、 自分で元気になる術を探す他はなく。 そんなで 今年はからだを動かすことに決めた。 さすがにBULLの水野氏のように フルマラソンを走る挑戦心はないけれど、 ちょっとずつ走ることも始めていこうと思う。 もちろん 酒も煙草もやめる気はさらさらない。 元気であるというのは 酒も煙草も美味しいと感じられることであるから。 ほんとに 元気こそ、欲望の母なのだ、とつくづく思う。
新年早々、情けないことに
ゆみも僕も風邪をひいてしまい、 まるで不調日記の体を成しつつある。 それだけが理由ではないのだが、 このブログも しばらくぶりの更新である。 で、昨日は熱が上がったので仕事を休み、 今日も休むつもりだったのだが、 クライアントから呼び出しを食い、 でも高校ラグビーの決勝は どうしても見届けたかったので、 打ちあわせの時間は 夕方にずらしてもらった。 昨年の12月は年末まで なんだかんだバタバタだったのだが、 高校ラグビーだけは 例年通り3回戦からしっかり観戦していた。 東福岡の下馬評が飛び抜けて高かったのは スポーツ新聞などで知っていたが、 優勝候補に挙げられたチームが 花園でこれだけ実際に強かったのは あまり例がないのではないか。 そう思えるほど、 今大会の東福岡の力は頭ひとつ、 いやみっつばかり抜けていた。 個人技のスキルもさることながら、 ディフェンスとアタックの切替えが 瞬時に、しかも組織的にできる。 花園で三連覇を飾った時の啓光学園、 あのチームをも遥に上回る強さであった。 今日の勝ちっぷりを見てたら、 4連覇するんじゃないか、そう思ってしまった。 近畿勢がいない決勝はさみしかったが、 でも本当に中味の濃い試合だった。 さて。 風邪気味ではあるが、 仕事はまずまずいい感じで動き出し 今年が年男の息子も、 外国人モデルのマネージャーという 天職かもしれない仕事に何とかありつき、 娘も陽太も元気に年を越せて、 昨年2度も手術をした 母親の膝の回復具合も順調で、 何も心配はないんであるが。 ひとつだけ。 初詣で僕が引いたのは1番の大吉で。 もちろんそんなの引いたのは初めてで。 そいつがちょっとひっかかってる。 というのも。 ゆみと暮らして今年で25年。 しかも事務所を開いて25周年。 今年はいわゆる ちょっとした節目の年で、 その年の正月のおみくじが 1番の大吉というのは、はたしてどうなのか。 心配性の僕としては、 最高の予兆、と能天気にはとても思えず。 もしかして。 ものすごく良くないことが起こるんではないか。 不吉な前触れの反転暗示ではないのか。 ゆみとふたり ぐしゅぐしゅと鼻をかみながら そんな心配をしているんであるが。 はてさて 今年はどういう年になりますやら。
ようやく、ようやく、ようやく。
堀江彷這の16号が発刊できそうである。 今年の春に発刊するつもりで、 2月に原稿をあげてほしいと、 執筆陣にはそう伝えてきたんではあるが、 例によって、そう思い通りにはゆかず、 夏に後藤さんの原稿が出たときは まもなく原稿が揃うかと思ったのだが、 なかなかそうはいかず、 結局、最後の原稿が12月のアタマに出てきて、 最後のイラストがその数日後に描き上がり。 そんなこんなで、 いっときは、 今年の発刊は無理かと 半ばあきらめていたんであるが、 デザインの武曽さんが 本当に頭の下がる超特急で デザインを仕上げてくれたため、 前号の発刊から何と1年半ぶり。 何とか年内に出せる運びとなった。 過去最大級のブランク発刊なのだが、 もうこうなっては 細かいことは言いっこなしなんである。 で、じつは僕の調子が いっときすごく悪くて 11月の終わりくらいから、 からだも気持ちも力が入らず、 まったく無気力状態の日が続き、 丸一週間ギターにさわらず、 ギターケースを開ける気にもなれず、 とにかく、しんどくて、だるくて、 何かを食べたいという欲求も起こらず。 まさか、「うつ」がうつったのか、 新新型インフルなのか、などと思いつつ、 やらないといけない仕事はいっぱいあるのに、 本当に何にもする気が湧いてこない。 こういうのは初めての経験で、 もうどうしたんだろう。 どうしてこんな脱力感と倦怠感にさいなまれるんだろう。 10日間くらい、ずっとそんなふうに思っていて。 それが、いつのまにか、すっと、抜けた。 何のおかげか分からないし、 どういうことかも分からないが、 堀江彷這を出せるメドが やっと立ったことも大きいのかもしれない。 そう思うと、 イラストのチーフ格の中西君や、 デザインの武曽さん、 そのほかいろんな人に感謝するばかりで。 ともかく。 18ヶ月ぶりの堀江彷這、まもなくお目見えなんである。
めったにTVドラマは見ない僕が
ここんとこ ひとつだけ楽しみにしているのが 金曜日の夜中に放映されている 「深夜食堂」という番組で。 これはビッグコミックオリジナルに 連載されている漫画が原作で、 連載が始まった頃から 僕もゆみも愛読していて。 タイトルの通り、 深夜から朝まで営業している 食堂を舞台に繰り広げられる ちょっとした人情話で、 そこに狂言回しのような役割で 毎回テーマメニューが登場する仕立てになっている。 テーマメニューといっても 凝ったものはまったく登場せず、 ポテトサラダだの卵サンドだの そういうお馴染のものばかりで、 そのB級匙加減が上手く、 しかも毎回それが 食堂で頼む登場人物の 人生の記憶につながっていて、 そこが物語の芯になっている。 それがまたまた憎い。 やはり食べるものというのは 味うんぬんがすべてではなく、 子供の頃に憧れていたり、 誕生日だけに食べさせてもらえたり、 そういう記憶と深く関わっている。 僕なぞ、 すぐに記憶がとんでしまう性質だが、 でもあのとき、あの映画の後に何を食べたか あのライブの後に何を食べたか、 映画やライブの内容は忘れていても、 食べたもののことだけはけっこう覚えていたりする。 で、この「深夜食堂」。 見終わった後、 その回に登場した食べ物が 無性に食べたくなってしまう。 先週は 「ソース焼きそば目玉焼き乗せ」で、 その日観ることのできなかった ゆみのために録画しておいて 次の日もう一度ふたりで見たのだが、 「絶対に食べたくなるから」と 前もって焼きそばの麺を買ってきておいた。 (買ってきたのはゆみなんであるが) 見終わった後、 案の定、ふたりとも食べたくなり、 しかも四万十川産ではないものの、 うちには有明の青海苔の在庫もあったもので、 僕が豚肉とキャベツ入りの ソース焼きそば目玉焼き乗せ、 有明産青海苔添えを作り、 夜中にぱくぱくと食べた。 いつだったかの回では あがた森魚が 流しの役で登場して驚いた。 ただそのときのタイトルが 「バターライス」で、 実際に劇中で食べていたのは お茶碗に熱いご飯とバターを入れて 醤油を垂らして食べるやつで 僕もすごく好きなんであるが、 あれをバターライスと呼んではあかんやろう。 バターライスは ご飯をバターで炒めたやつのことだろうと 番組につっこみを入れながら見てたのであるが。 ともかく キャストの意外性も面白いし、 監督が毎回違うという楽しみもあり、 金曜日の夜中は 「深夜食堂」にハマっているんである。
穏やかに晴れる日と
めっちゃ冷える日と ずっと雨の降る日と 空模様は相変わらずきまぐれで、 朝起きてみないと 何を着ていけばいいか分からない。 おとといの23日は とても暖かな小春日和で、 こんな日に ずっと室内にいるのはもったいない。 どこかへ出かけようと言ってたのだが、 僕は僕で企画のアイデアをまとめたり、 ゆみはゆみで 押入れの抜本的整理をしていたりで、 出かけるのは夕方になってしまい、 こんなにいいお天気の一日だったのに、 結局、難波へ映画を観に行くことに。 予告編でずっと観たかった タランティーノの新作 「イングロリアス・バスターズ」。 いやあ面白かった。 ゆみはちょっと怖かったらしいけど。 何というか この監督は なめまわすきキャメラ視線といえばいいか、 すごく映像の文体がしつこくて、ねちっこく、 表情や仕草のディティールを くどいくらい長回しのキャメラで撮る。 それゆえ 観ているほうに、あらぬ誤解が生じる。 さらっと流してしまえばいいことに、 過剰に意味を持たせてしまう。 そういうレトリカルな映像芸が 僕は好きなんだけど。 この「イングロリアス・バスターズ」は、 白人がインディアンを虐殺する 西部劇のフレームを拝借しつつ、 ナチのユダヤ虐殺の構図を借りつつ、 そういう正統図式とは無縁の とんでもない破天荒な タランティーノ節が展開される映画なのだが、 これだけ貫録のない 恐がりのヒットラーを描いた映画は おそらくきっと初めてだろうと思う。 脚本もいいのだが、 出演者の演技が素晴らしく、 ナチの頭の皮を100枚剥いでこいと命令するブラピの オーラさえ漂う下品な演技にはちょっと驚かされた。 ユダヤ・ハンターを演じ、 カンヌで男優賞だかを受賞した クリストフ・ヴァルツもさすがに上手かった。 そして家族をナチに虐殺されて 復讐に命を賭ける役の メラニー・ロランがまたすごく良くて。 ナチの時代のフランスを舞台にしながら 浪花節とマカロニウェスタンと、 パルプマガジンの猥雑さを混ぜ込んだ タランティーノ久々の快作であった。
先週あたりから
めっきり冷えるようになり、 こりゃワインより日本酒だよなと、 おでんを作ることにした。 いつものように 昆布を丸一日水に浸して 翌日、火にかけて出汁を仕上げ、 米の研ぎ汁で茹でた大根と 茹でた卵と牛すじをまず放り込む。 今回の牛すじは肉屋で買ってきた めっちゃ美味しそうなもので、 串に刺しながら思わず期待がふくらむ。 弱火で数時間火にかけ、 次の日に じゃがいもと厚揚げと練り物と竹輪を入れて またまた数時間弱火で煮込む。 息子が9月にロスへ行ってから 冷蔵庫の中にほとんど食べ物はなく、 ゆみとふたりで 久しぶりの料理の匂いやな、と言いつつ、 息子のことだから このおでんが食べ頃になるのを 見計らったように帰ってくるんと違うか、 などと冗談半分で話していたら。 本当に帰ってきた。 出汁を取っている段階の夜。 夜中に帰ってきたゆみが えらく慌てた様子で 息子の自転車がないと言う。 もしかして盗られたか、と 防犯登録の控えがどこにあるか 息子にメールで聞いて 警察に届けようという話になったのだが、 ふとテレビのほうに目をやると 定期的に充電を頼まれていた 息子の携帯電話が見当たらない。 え、もしかして?と 和室の襖戸を開けてみると そこには 開いたままのトランクと 荷物が部屋中に散らばっていた。 ふたりで思わず口を揃えて 「帰ってきとったんかい!」と 驚くやら大笑いするやら。 どうやらロスから帰って 荷物だけ置いて またどこやらへ遊びにいったらしい。 その後も しょっちゅう友達が来ては またどこかへ遊びに出ていく息子なのだが、 家にいて顔を合わせている時は、 ぽつぽつと、 ロスでの話をしたりしている。 今回のおでんは 上等の牛すじのおかげで いつもにも増して つゆに上品な甘みとコクが出ていて、 本当にいい出来なんであるが、 にしても おでんの完成に合わせたように 日本へ帰ってくるとは、 以心伝心というのか、 食い意地の遺伝子というべきか、 何はともあれ、 まるで映画のような突然帰還であった。
無性に何かを食べたくなる。
とつぜん それ以外のものは食べたくなくなる。 僕の場合、 そんな時はたいてい店もセットである。 つまり、単に「カレー」ではなく、 今日は「カシミールのカレー」 今日は「はり重のカレー」といった具合に。 ラーメンなんて特にそうで。 とつぜん食べたくなって ちょこちょこ足を運ぶ 豚骨ラーメンの店が近所にあり、 多い時など週に3度も食べたりしてたのだが、 今年の春に行ってみると シャッターが閉まっていて、 あれどうしたんだろうと思い、 再度また行ってみたら またもや閉まっていて、 ああ残念だけど店仕舞かと思ってたら じつは移転していたことが分かり、 ちょっとほっとして その移転先へ行ってみた。 すると看板は出ているのだが 店は営業しておらず、 中を覗き込むと店主が出てきて いきなり「あきまへんわ」と言う。 続いて 「ここ空気が薄いんですわ」と言う。 何のことか分からないのだが、 要するに環境が変わり、 前と同じスープができないと言うんである。 まあもともと頑固な店主で 以前の店に行っていた時でも スープの出来が満足できないと その日は店を閉めると言っていた。 ただ移転したのも同じ区内である。 モロッコに移転したならともかく、 空気が違うはずはないんであるが、 まあ頑固な店主の受け止め方は違うかもしれず、 そんな頑固な店主に向かって あんたの腕の問題と違うの?とは言えず、 ともあれ、きっぱりと、その店主は 「前と同じのは絶対に無理です」と言うんである。 で、ようやく、このあいだ、 その店で移転後初めて食べることができた。 ある程度は覚悟していたのだが、 以前の絶妙なスープとは まったく違うスープで、 煮干しが勝ち過ぎていて、 麺もまったく別で なぜこんな太麺に変えたのか解せず。 シャーシューもまったく別で すごく美味しかった餃子も メニューから消えていて。 カウンターに置かれていた 高菜と紅ショウガも消えていて。 おおいにがっかりしてしまった。 しばらくぶりに足を運んで 値段が少し上がっていたというのなら それはまあ許せるというか ほとんどノープロブレムなのだが、 味が落ちていたりしたら ほんとにすごく悲しくなってしまう。 まして まったく別物の味になっていたら、 もう何というか何も言えない。 大袈裟な言い方をすれば これで僕の大好きだったものが またひとつ この世から失せてしまったという感じである。 何を大層に、と言う人もいるだろうが、 それは絶対に絶対に 少なくとも僕には大問題なんである。
日曜日は
久々に映画を観ようと思い、 難波や梅田でやっている 映画をネットでチェックしたのだが、 いまひとつそそられる映画がなく、 どうしようかと思っていたら、 九条のシネ・ヌーヴォで オランダ映画祭なるものを やっていることが分かり、 自転車を九条まで走らせる。 シネ・ヌーヴォに来るのは 本当に本当に久しぶりで、 オープンした頃は 年に7、8回は足を運んでいた。 狭いロビーに 映画のチラシやフリーペーパーが 雑然と並べられ、 壁いっぱいに 若松孝二やら紅萬子やら 懐しい監督や俳優のサインが書かれている。 こういう整頓とは対極の 雑味あふれる空間が落ち着くのは、 やはり青春70年代育ちゆえであるか。 整理券をもらってから 上映時間まで商店街をぶらぶら歩き、 人気のない喫茶店でピラフを食べ、 スポーツ新聞を読みながら時間を潰す。 九条の商店街も久々なのだが、 美味しかった洋食屋も姿を消していて、 チェーンの食べ物屋に変わっていたりして、 ちょっと淋しい気持ちに駆られる。 で、この日観たのは 「ブラックブック」という映画と 「ドゥスカ」という映画。 続けて観ると2本目は1200円だというので、 こりゃ良心的だと2本観ることにしたんである。 オランダ映画というのは あまり観たことがないのだけれど、 どちらもすごくい映画だった。 とくに2本目の「ドゥスカ」。 ごくささやかなドラマだけで すごく起伏に富んだ心象風景を描き出していて、 映像や編集も素晴らしく、 何ともいえない余韻が楽しめる映画だった。 主演の男優の演技も良かったのだが、 ヒロイン役の シルヴィア・フックスがそれ以上に ものすごく魅力的で、 彼女の表情や仕草のすべてを 目を凝らして観てしまうほどだった。 映画の醍醐味のひとつは 間違いなく、 こういう魅力的な女優と出会えることである。 ラストシーンも印象的で、 オランダ映画、あなどれず、という感じなんであった。
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